真珠を作る達人たち
真珠に魅せられつづけて
白い雪のような輝きを求めて、
清らかな若狭の海に賭けた真珠作りのロマン
昭和27年、
たった200個のアコヤ貝が列島をよぎって伊勢から小浜湾へやってきました。
しかし、できた真珠は今一歩の大きさ。
そこで真珠養殖の腕を磨いた間宮さんが昭和32年真珠会社から派遣されました。
心を鬼にして当時の責任者・日々谷さんに提言した対処法は
ー3分の1の貝を捨ててくださいー
真珠を愛するあまりの勇断でした。
そして翌年、間引きの成果が実り夢の真珠が誕生したのです。
夢があれば、壁もある。
水温が下がる冬、三重へ貝を輸送して越冬させるのですが、
それまで常識であった海上輸送からなんと陸路トラック便に変えた挑戦。
ー福井で養殖成功ーの報に業者が集中し漁場から過密化しないよう、
県真珠養殖漁業共同組合をつくり、地域の利益を守った挑戦。
そんな間宮さんを支えたのは「いい玉をつくりたい一心」と
心を許せる「人と人のつながり」だったとか。
輝きが結ぶものは絆です。
三重県と福井県を結ぶ越冬の絆。
間宮さんを育てた真珠会社の社長さんや先輩たちとの絆。
独立するかどうかで悩む間宮さんを励ました奥さんとの絆。
栃木生まれの間宮さんを受け入れてくれたおおい町のみなさんとの絆。
この絆のどれが一つ欠けても、若狭パールは生まれなかったでしょう。
日本一といわれる雪のような輝きは、みんなの力の結晶なのです。
▲間宮貞雄、享年73歳。
「イメージ通りの珠が出たときの喜び、
それは陶芸家が思い通りの色で焼き上げたとき
みたいに嬉しいです。」
真珠の世界に魅せられて、
一生涯 真珠人生を送った先代、間宮貞雄。
家庭の中でも、いつも母と真珠の話ばかりでした。
兄と私(店長・森下)は、当然のように真珠を身近に感じ、両親の真珠への情熱や
「この珠、綺麗やな〜。あっこれもええなア!最後に売りたくないな〜!」
などなどの会話を聞きながら育ち、どっぷり真珠の魅力の世界に入り込んでしまいました。
先代の「日本が誇るアコヤ真珠作り」の遺志を継ぎ、
二代目へと引き継いでおります。
真珠を育てる人たち
二代目社長。美しい真珠を作るため雨の日も、晴れの日も、貝と向き合ってます。核入れの職人、高い技術を要する大珠の8mm・9mmが専門。
次期三代目としてただ今、真珠作りの修行中。貝の見方や仕立て、核入れの技術に、養殖オフ期間の冬の次期は真珠加工の穴開けも勉強中。
デザインして制作する人たち
兄は、真珠作り専門で、私は、加工・制作・販売を担当の店長をしております。幼い頃から真珠を身近に感じて今に至ります。没頭すると食事も忘れて真珠の世界に入ってしまいます。
社長の奥さん。嫁いで20年、製品作りや接客担当。養殖部門が忙しい時は真珠作りの方も手伝い、真珠作りの大変さも実感しております。元気ハツラツ!パワー全開です。
接客が中心ですが、制作も担当。一番年上ですが、好奇心と気が若く気さくで面白い。趣味のアートフラワーは師範並み。お店のディスプレイやお花も担当。
細かい製品作りなどは美和ちゃん担当、真珠の選別・接客そして養殖部門の核入れの有能な技術者。ただ今子育ても奮闘中!
一番若手のかおりちゃん。ただ今色々と修行中。細かい制作やネックレス仕上げなど手先が器用なので担当。養殖部門の細胞切りの技術者でもある。ただ今、子育ても奮闘中!
間宮真珠のスタッフは、老若男女、ほんとうにさまざまです。
でも、老いも若きも、真珠にかける思いの熱さは同じ。
みんな、業務を専門に分けるのではなく、
核入れから加工まで、生産工程を幅広くマスターする
「真珠マイスター」揃いなんですよ。